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南池袋  玉の井にて元日早々の“瞬間芸”

雑司が谷霊園を再訪しました。 永井荷風の墓です。
その隣に、荷風の父親の墓があります。
荷風は、戦前のある時期までのほぼ毎年正月、亡父の墓参りをしていました。
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荷風は1937 (昭和12) 年元日、父親の墓参りを済ませた後、玉の井 (現・東向島) の色街を訪れています。
日記 『 断腸亭日乗 』 のその日の記述に、ちょっとしたサプライズがあります。

雑司ヶ谷墓地に赴き (中略) 鬼子母神に賽 (さい) し祠 (ほこら) 後の停車場より電車にのり大塚王子を過ぎて三ノ輪停車場に至る。 高島田に結いたる娘多し。 近年の流行なるべし。 亀井戸行の市営バスに乗り白髭橋をわたり玉の井にいたる。

「鬼子母神」 は言うまでもなく、雑司が谷霊園から目と鼻の先の鬼子母神。
また、「電車」 とは当時の王子電気軌道、つまり現在の都電荒川線のことです。
「祠後の停車場」 すなわち鬼子母神前駅から、終点の三ノ輪橋駅まで乗ったわけです。

荷風は街歩きの際に頻繁に路面電車を利用していますが、そのほとんどは廃線となってしまったため、彼の足取りを正確にトレースするのは、現代では容易ではありません。
ところが、この日の荷風に限ると、都電を使って今でも足跡をそのままたどれます。
しかも――、

三ノ輪橋駅の近くには、まさに亀戸行きの都バスが走っているのです。
このバスは明治通りを東進し、隅田川に架かる白髭橋も渡ります。
そして、途中の百花園か東向島広小路のいずれかの停留所でバスを降りると、旧・玉の井までは、歩いてすぐ。
都電といい、都バスといい、ここまで忠実に荷風の足取りをたどることができるケースは、極めて稀です。

ところで、この日の荷風の日記は、次のように続きます。

路地を一めぐりして浅草雷門に出ず (以下略)。

そして、日記の日付の上には、お馴染み、「・」のマークが。
この印について、荷風は一切説明してませんが、「いたした日」 というのが定説となっています。
荷風先生、新年早々の墓参りで殊勝な年明け、と思いきや、実は、玉の井の 『 路地を一めぐり 』 している間にお楽しみだった、というわけです。
瞬間芸です。 サクサクッと済ましちまったんですな。
おいらなんざ、路地を一めぐりしている間は、写真を2~3枚撮るのがやっとです。
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by muffin-man | 2007-11-11 21:19 | 大塚/池袋
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