この街を訪れた目的は一つ、八幡神社の玉垣を確認することだ。
これは2007年に撮影した「壺屋(つぼや)」の玉垣。
わしは永井荷風の長年の愛読者なんだが、荷風は一時、この界隈に愛妾お歌さんを囲っていたことがある。
それがどこにあるのかを探しに行って見つけたのが、上の写真の玉垣。
『断腸亭日乗』の昭和2(1927)年10月14日付の日記に妾宅の場所を示している。
「菓子屋壺屋の裏にある貸家」
その壺屋の玉垣がこれだったのだ。
ところが、いつの間にかすっかり新調され「壺屋」の名が消えていた。
残念だが、まあ、仕方ないよね。
神社の階段を上り参拝。
裏手に階段があったはずなので、下りてみる。
この鬱蒼とした感じは、以前訪れたときのまま。
ちなみに荷風とお歌さんもこの神社を訪れている。
ああ、だが、下りきると、かつての民家が一掃されていた。
2007年に訪れた時も再開発され、立ち退きが進んでいたので、むしろそのスピードは遅いとも言えるのか。
かつては、こんなだった。
2007年当時で昭和な風景が丸ごと残っていた。
空き家が目立ってはいたが。
路地には必ず傘に下にこのネコがいた。
民家の軒先にも。
2019年の現実に戻ろう。
がれきに混じって何かいるよ
気づいた?
地蔵さんだ。
相当古そうな石像とともに打ち捨てられている。
激変する虎ノ門5丁目だが、変わらぬものを発見した。
この街灯。
現在(写真上)と2007年(同下)の姿です。
階段を上り下りする住民など今や皆無だろうと思われるが、ちゃんと灯っている。
以下、昔の写真。
こちらは虎ノ門3丁目。
このアパートなんて、ご丁寧に「港区芝西久保巴町112番地」と旧町名で表示されていた。
ここにもネコ。
そして階段がいくつも。
超都心部なのに、懐かしい東京がそこここにあった。
今はない……。
※壺屋は以前、実際に取材させていただいたことがある。変遷を経て、現在は本郷にあります。壺形最中、とても上品でおいしい!