おっと、ここは真昼の新宿ゴールデン街か?
旧川越街道の練馬「きたまち商店街」にある小さな飲み屋街です。
刃物屋の横を入ると現れる。
以前もアップしたね。
さあ、旧川越街道をずんずん往くよ。
今度は「北町アーケード ショッピングセンター」が現れた。
ふふふ、ここも好い感じ。
小動物も絶賛販売中。
浅間神社。
「下練馬(北町)の富士塚」として知られているそうだ。
さっそく富士登山にチャレンジだ。
登山道には、お猿さんもいれば、天狗もいる。
あっという間に頂上だ。
標高37.76メートル。
江戸期に築造され、明治期と戦前の2度の修復工事を経て昨年、「平成の大改修」が行われた。
旧川越街道と環八通りがクロスする場所に建つ「下練馬の大山道道標(みちしるべ)」。
宝暦3(1753)年造立。
「北一商店街」。
商店街を歩きながら、ふと横を見ると……向こうに何かある。
ん? おい。
うわっ、祠(ほこら)!
道の真ん中に!
後ろ姿。
四つ辻のど真ん中にある。
どうにも危なっかしいが、どの車両もスピードを落としていくので、案外、事故はないのかもしれん。
消化器が置いてある。
使えるのか?
というか、そもそも何のため?
祠は馬頭観音を祀っている。
観音様の建立は文化12(1815)年。
道路事情や周辺の再開発などで祠が移設されるのは、決して珍しくない。
この祠が移設されずにここにある、というのは何かのっぴきならない事情があるのだろうか。
観音様は摩耗が激しく尊顔を拝めない。
誰が置いたか、手前の馬の像との奇妙なコントラストが可笑しい。
それにしても、
三叉路に建つ地蔵堂はよく見てきたが、道の真ん中というのは初めてだ。
旧川越街道に戻り、さらに行くと、今度はあれ。
庚申塔だね。
刻銘が判じにくいが、元文4(1739)年の造立だろうか。
ケヤキの大木を望む。
「上板南口銀座商店街」に入った。
お、深紅の幟(のぼり)が見えるぞ。
「子育地蔵尊」。
お堂には2体の地蔵が安置されているが、貞亨5(1688)年造立というから、古い。
そろそろ昼メシでも、とウロウロしていると、現れました、よさげな路地が。
おっと、おら好みの看板が誘ってるよ。
メンチとコロッケの定食が550円。安いな。
気づくと、「船底」という店ですでに注文していた。
熱々のメンチとコロッケ、うまし。ご飯も味噌汁の具も多し。
さらに、手作りつくね煮込み450円も追加で注文。
これまた、うまし。
ふと入った店で安くて美味しいものをいただくと、幸せな気分になるね。
必ずまた来ます。
店を出て川越街道を渡ると、マンションの角に庚申塔を発見。
これ、ちょっと変わっている。
青面金剛(手がいくつもある像)は邪鬼を踏みつけているのが一般的なパターンなのだが……、
この邪鬼(茶色いアメ玉が載っている)は右手で頭を支えているような、くつろいだポーズを取っている。
たわけ者め。
再び川越街道を渡り、東武東上線・ときわ台駅方面を目指すと、地蔵堂が見えてきた。
マンションとマンションの狭間に、ひっそりと。
「平安地蔵」といい、造立は江戸の昔ではなく、戦後の昭和23(1948)年。
昭和20年6月10日の空襲で、一帯は死者269人を数える、板橋区では最大の惨事となった。
地蔵は、故人の供養と悲劇を繰り返すまいという誓いの下、地元有志が建立したという。
大きい地蔵が大人、小さい地蔵が子供を表現しているそうだ。
わたしが書いた
『東京街角 お地蔵・稲荷・石塔めぐり』では、都心部にたたずむ地蔵や狐像を、お守りする人々と共に写真で紹介しています。
よろしかったら、お手元に1冊!