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雑司が谷霊園  没後52年

永井荷風が孤独死してから、今日で52年。
久しぶりに掃苔しました。 誰が手向けたか、香華と線香が。
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「津波は天罰」と発言し、翌日撤回したのは石原都知事ですが、似たようなことは荷風も書いている。
いや、都知事なんぞより断然過激だ。
下に続くよ

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関東大震災(1923年)発生翌月の 『断腸亭日乗』 に、こうある。

つらつら明治以降大正現代の帝都を見れば、所謂(いわゆる)山師の玄関に異ならず。 愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば、灰燼(かいじん)になりしとてさして惜しむには及ばず。 近年世間一般奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧れば、この度の災禍は実に天罰なりと謂う可し(いうべし)。 何ぞ深く悲しむに及ばんや。

ここでも、「天罰」なのだ。
この時点では公表を予定していない日記なので、勝手放題に書けたという事情もあっただろう。
にしても、被災地・東京について、「惜しむにおよばない」とか「悲しむにおよばない」と、袈裟切りにする眼差しは、偏執的で異常だ。
灰燼の東京を、あざ笑っている。
よくも悪くも、これが「荷風調」。

だが、文中にある、「奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様」は、どうなんだ。
あるいは、「山師の玄関」や「いかさま物」に過ぎない東京ってのは、どうよ。
大正どころか、今日の東京じゃないか。

今回の東日本大震災で、自粛ムードを打破し、以前のように消費することが復興につながる、という論調が目立ってきた。
そうなのかもしれない。
だが、本当にそれでいいのか。
「貪欲飽くことを知らざりし有様」を取り戻すことってのは、正しいのか。

災前より頻繁にやって来なくなった地下鉄をホームで待ちながら、それでも、もうイライラしなくなった。
街からネオンの瞬きが消え、ひどく暗くなったが、今では何でもない。 むしろ落ち着く。
質実さや静寂から新しく何かが生まれることだって、きっとありますぜ。
by muffin-man | 2011-04-30 23:00 | 大塚/池袋
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