<   2007年 10月 ( 13 )   > この月の画像一覧

神田神保町  ご馳走を前にして写真どころじゃなくなる

この土日は仕事だったので、会社帰りに 『 神田古本まつり 』 を撮ろう、と三脚とカメラ持参で出勤しました=28日(日)。
ところが、予想通りというか、古本選びに夢中になり、結局一枚も撮らず。
計4冊、〆て5,500円。 ということで今回は、古書のブツ撮りで。
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▽森義利 『 幻景の東京下町 』 (日本放送出版協会、1989年、700円)
▽岸井良衛 『 女芸者の時代 』 (青蛙房、1974年、1,500円)
▽為永春水 『 春色梅児誉美 』 (岩波書店、1962年、300円)
▽秋庭太郎 『 新考 永井荷風 』 (春陽堂書店、1983年、3,000円)

中でも一番の収穫は、『 女芸者の時代 』。 江戸期以降の東京の芸者街の歴史が詳細に考証されています。
驚くことに、茅場町や霊岸島にもちょっとした花街があったそうです。
これで1,500円は、うふふな値段です。
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by muffin-man | 2007-10-28 23:52 | 神保町/水道橋/千鳥ヶ淵

大塚  紅葉前夜祭だ、マルガリ~タ!

紅葉にはまだ1カ月前後あります。
んじゃ、前夜祭代わりに1分刈りだ!――と、10カ月ぶりに理容オハラさんへ。
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女将さんにヤクルトタフマンをご馳走になりました。
サッパリ頭にドリンク剤。 よっしゃ、いっちょ来ーい!
……すいません、ただの強がりです。
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散髪から帰ると、カミさんは今回も、丸一日口をきいてくれませんでした。
なにゆえ、婦女子は男子の丸刈りが嫌いなのか。
カミさんには内緒だが、『 必殺仕置人 』 の準主役・念仏の鉄の坊主頭が理想です。
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by muffin-man | 2007-10-23 02:52 | 大塚/池袋 | Comments(18)

湊  暮れゆく隅田川

川べりから佃方面を望む=21日(日)午後4時19分。
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群青に染まる水面。 写真・右は、佃大橋です=同日午後5時22分。
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この夏以降、路地よりも隅田川べり及び隅田川につながる水路っぷちを歩む機会のほうが断然多くなりました。
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by muffin-man | 2007-10-21 20:15 | 築地/豊海町/豊洲/佃/葛西 | Comments(14)

日本橋蛎殻町  下町酒場へようこそ

お、誘ってくれるね~。 おいらは、こういう店にイチコロなのさ。
ちょっくら寄ってみるか。
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グラス1杯の値段なのか。 安すぎる……。
『 角 』 なんて、東向島で飲むハイボール (1杯250円) より安いよ。
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残念ながらドアは閉鎖され、もはや営業していないようでした。
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by muffin-man | 2007-10-19 09:10 | 日本橋/人形町 | Comments(22)

大塚  儒者捨場 (じゅしゃすてば) を見に行く

この街は何度も訪れていますが、ここだけは何となく避けていました。
儒者捨場――言葉の響きからして、おどろおどろしい。
正式には、『 大塚先儒 (せんじゅ) 墓所 』。 江戸時代の儒学者が葬られている墓地です。
写真・右の鉄扉を開けて入ります。
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訪れる人もなく、深閑としています。
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墓所の起こりは、1670 (寛文10) 年だそうです。
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井戸とは思えません。 ストーンサークルでもないでしょうが……。
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儒学者だけでなく、子供の墓も。
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例によって、永井荷風はここも訪れています。
『 断腸亭日乗 』 1937 (昭和12年) 3月26日付から。

大塚坂下町儒者捨場を見る。 往年荒涼たりしさま今はなくなりて、日比谷公園の如くに改修せられたり。 路傍に鉄の門を立て石の柱に先儒墓地と刻したり。 境内に桜を植えたるなど殊に不愉快なり。

この記述を読む限り、荷風はここを何度か訪れているようです。
かつては荷風好みの 『 荒涼たりしさま 』 だったのが、今や、『 日比谷公園の如くに 』 なってしまった――と、嘆いています。
が、ご覧のように、人々が集い憩うような場所とはとても思えません。
ひょっとしたら、あの“ストーンサークル”は、ベンチか花壇だった?

それにしても、このところ、どんどんジジ臭いブログになってます。
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by muffin-man | 2007-10-17 18:49 | 大塚/池袋 | Comments(22)

八丁堀  さらに水路を求めて

亀島川。 亀島橋から高橋方面を望む=12日(金)。
2つの橋は、もともとは江戸時代に造られました。
明治40年の地図で確認すると、両岸は当時、河岸になっており、ここもまた水運が盛んだったことがしのばれます。
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by muffin-man | 2007-10-15 18:51 | 日本橋/人形町 | Comments(11)

築地  水路は残った

浜離宮恩賜公園 (写真・左) と海岸通りの間を流れる汐留川=12日(金)撮影。
他の多くの水路は戦後埋め立てられましたが、ここだけは明治40年の地図そのままの流れをとどめています (川幅はもう少し広かったようですが)。
隅田川とつながっているので、流れも微妙にあります。
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アングルが歩道より低いことにお気づきでしょうか。
これ、手こぎボートに乗って撮ったのです。
ウソです。 一脚につなげたカメラを逆さにして、小さな橋の上から思い切り腕を伸ばしてタイマー撮影しました。
ちょっとでも手を滑らしたら、カメラが水没してしまうため、かなり必死でした。
    ×    ×    ×
中央区内を流れていた水路について調べていく過程で、意外な事実に遭遇しました。
戦後、陸上交通が水上交通に取って代わり、水路は埋め立てられた。言わば、歴史的な必然――これも事実なのですが、実際はそう単純な話ではなく、敗戦で焼け跡に残された膨大な量の灰燼を処理する場として、水路が利用されたそうです。
つまり水路は、巨大なゴミ捨て場となってしまったのです。

その第1弾として埋め立てられたのが、現在の銀座を貫いていた三十間堀川。
荷風作品にも頻繁に登場する名高い水路でしたが、敗戦の3年後には工事着手されています。
行政は、こうして水路を次々に埋め立てて造成、それを売却して区画整理事業などの費用を捻出していったのです。

もっとも、築地界隈の水路の埋め立て工事が始まったのは、それよりも10年以上も後のことで、こうした灰燼処理とは関係なかったようです。

ところが、永井荷風の日記 『 断腸亭日乗 』 1928 (昭和3) 年3月9日付に、気になる一節があります。

新富町と入船町との間を流れいたりし溝渠 (こうきょ) 区画整理にてこの程埋められ、其のあたりには既に貸家立ち並びたり

ナンと、溝渠=水路は戦前から埋め立てられていた、というのです。
『 新富町と入船町との間 』 を流れていた水路というと、入船川しかありません。
現在は新大橋通りに変わりましたが、今でも昔の町名そのままに、新富町と入船に挟まれています。
で、調べてみると、この入船川が埋め立てられたのは、確かに戦前も戦前、1924 (大正13) 年のことです。
当時の史実で連想するのは、前年1923年の関東大震災。 ひょっとして、震災の灰燼処理で埋め立てられた?

さて、断腸亭日乗のこの日の記述は、入船川が流れていた往時を次のように振り返っています。

水に沿いて道あり、妓家待合師匠の家など立ちつづきたる片側町にて昼も人通り少なく何となく艶めかしき処 (ところ) なりき

そして最後は、こういう言葉で締めくくっています。

市中の堀割追々に埋めらるるは惜しむべし

荷風は昭和初期の時点で、堀割=水路はやがて次々と埋め立てられていくだろう、と予想しています。
これは恐らく、記録には残されていなくても、当時すでに入船川以外にも埋め立てられた水路があったということではないでしょうか。
いや、断腸亭日乗をもっとさかのぼると、1921 (大正10) 年5月2日付で驚くべき記述に出くわします。

築地川濁水の臭気甚し。(中略) 今や市内河川の水にして悪臭を放たざるはなし。

戦前どころか、すでに震災前にして、これら水路が人々から顧みられることなく汚れ、「水の都・東京」は、もはや名ばかりだった様子が分かります。
この時代に、このありさま。
敗戦の灰燼処理で水路が次々に埋め立てられていったのも、決して不思議ではないわけです。

東京は、関東大震災と敗戦で街が激変した、というのは事実ですが、もっとつぶさに見ると、それ以前に、「激変の芽」がポツポツと現れていたことに気づかされます。
東京の街を見続けた荷風の視線の鋭さに、今さらながら驚かされます。
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by muffin-man | 2007-10-14 00:28 | 築地/豊海町/豊洲/佃/葛西 | Comments(20)

築地  水路の面影を求めて

銀座から隅田川にいたる一帯には、かつて水路 (運河) が縦横に走っていました。
ここ築地市場の周囲にも築地川東支川と築地川南支川などが流れていましたが、この二つの水路は1960年から徐々に埋め立てられ、1995年までに完全に姿を消しました。
当時の遺構の一つ、『 小田原橋 』 の橋柱です。
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駐輪場から場内市場側 (晴海通り側) を見ると、ここに橋が架けられていたことが一目瞭然です。
真ん中の円柱が、小田原橋の橋柱です。
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そのままカメラを右に振ると、これが川の跡です。
昔の地図とも照合しましたが、向こうに延びていく草地こそが、かつての築地川南支川です。
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水路は小田原橋を起点にT字路になっており、築地川東支川は現在の晴海通りを超え、築地本願寺の裏手も超えて延びていました。
その後、埋め立てられて出来たのが、築地川公園。
これは、晴海通り沿いに残る 『 門跡橋 』 の橋柱です。
なぜか、橋柱も土に埋まってます。
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次回は、現存する唯一の水路をリポートします。
撮影は、本日12日(金)。
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by muffin-man | 2007-10-12 22:53 | 築地/豊海町/豊洲/佃/葛西 | Comments(14)

東日暮里  久々登場!やせぎすのニッポリ君 (勝手に命名)

と言っても、昨年11月の写真です。
その後、何度か訪れましたが、お目にかかっていません。 元気にやってるのか、ニッポリ君。
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横顔は、こちら
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by muffin-man | 2007-10-09 20:32 | 三ノ輪/南千住/東日暮里/下谷 | Comments(23)

南砂  ステンレス工場

仙台堀川公園。 昨日7日(日)に撮った唯一の 「街撮り写真」 です。
柵と工場との間が小さな堀になっています。
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撮影後、近くを走る越中島貨物線に沿って自転車を駆りました。
線路脇の土手は、もちろんJRの所有地ですが、沿線の住民たちはそんなことお構いなく畑を作ったり花を植えたりして、独特の風景が広がってました。
斜面に咲き乱れる曼珠沙華、色づき始めた柿の実、物干し竿にひるがえる洗濯物……。
『 土手の上から好い写真が撮れそうだ 』
と思いつつも、 結局、一枚も撮ることなく終わりました。
でも、街撮り者にはおススメの沿線風景です。
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by muffin-man | 2007-10-08 12:00 | 築地/豊海町/豊洲/佃/葛西 | Comments(12)