日本橋中洲  箱崎川の遺構

前々回の続きです。
金刀比羅宮 (ことひらぐう) の裏手に回ると、玉垣の横にコンクリの台座のようなものが続いています。
川沿いに建てた柵とその跡です。
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写真・左上は首都高6号線。
『 中央区三十年史・上 』 などによると、首都高の真下には1968 (昭和43) 年まで、隅田川から枝分かれした箱崎川が流れていたのです。
日本橋中洲 (この写真では柵の右側のエリア) は昔、箱崎川と隅田川に挟まれた埋立地でした。

で、金刀比羅宮の横には、菖蒲 (あやめ) 橋が架かっていました。
完成は、1926 (大正15) 年。
これらの柵跡は、当時からのものかもね。
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「goo地図」に昔の航空写真が載っています。 ここです。
リンク先で「昭和22年」か「昭和38年」をクリックすると、当時の街並みが表示され、箱崎川が全容を現します。
赤くマーキングしたところが、今回の菖蒲橋およびそのたもとです。
この街が文字通り、埋め立てで出来た「中洲」だったことが分かります。
ちなみに、右横に大きく蛇行しているが隅田川。 大きな橋は、清洲橋です。


さて、首都高の真下、つまり、かつての箱崎川沿いに歩むと、こんな民家が。
町医者のようです。 「婦人科 耳鼻……」と読み取れます。
そして、小さな電灯も。
箱崎川が流れていた時代に灯されていたのでしょうか。
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前々回の写真をよ~く見ると、首都高の下の車道がビミョーに盛り上がっているのが分かります。
川が流れていた、もう一つの証です。

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by muffin-man | 2008-04-18 00:08 | 日本橋/人形町
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