足立区花畑  江戸から遠く離れて、『 吉原 』

都県境の撮影サイクリングに疲れ、大鷲 (おおとり) 神社で一休みしていると、目の前にこんな碑が。
『 東京新吉原貸座敷有志 』。
貸座敷つまり女郎屋の主人たちが寄進したようです。 1901 (明治34) 年建立。
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この神社は、酉 (とり) の市発祥の神社と言われています。 舟運が盛んだった当時、彼らは水路、吉原から訪れたのかもしれません。
ズラリ並んだ遊郭の中に、あの 『 角海老 』 の名も=写真・中央。
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おまけ。
都県境の埼玉県草加市を流れる伝右 (でんう) 川です。
鉄塔の写り込みがなければ、まるで沖縄・西表島のマングローブ。
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by muffin-man | 2007-05-18 21:17 | 西新井/花畑 | Comments(16)
Commented by lucca-truth at 2007-05-18 22:20
こんばんわ
都県境とは思えない見事な風景、どこのジャングルかと思う写真です。
自然がふんだんに残っているところがあるんですね。
Commented by 風俗散歩 at 2007-05-18 22:27 x
マフィンマンさん、これは大発見ですね。恥ずかしながら、日頃、風俗スポットを散歩している私は存在を知りませんでした。この碑を撮影サイクリングの休憩時間に発見してしまうマフィンマンさんに脱帽です。
明治34年に力を持っていた妓楼がひと目でわかってしまうわけで、貴重な文化財だと思います。
Commented by korotyan27 at 2007-05-18 23:07
こんばんわ。
大鷲神社が酉の市発祥とは知りませんでした。あと吉原の頃から角海老があったというのも驚きですね!歴史があるんだなぁ。
最後は水面に迫る樹木が一層ダイナミックに見せてくれますね。
とはいえ昨今の温暖化だと本当にマングローブ林になってしまいそうですね。
Commented by aoi_color at 2007-05-19 00:09
さすが酉の市発祥の地だけあって、貴重な『東京遺産』発見されましたね。
Commented by マフィンマン at 2007-05-19 09:32 x
lucca-truthさん
川が3本も交差しているためなのか、足立区花畑~草加市~八潮市の都県境では、都内ではあまりお目にかかれない風景にめぐり合うことができました。
仰るとおり、ジャングルっぽいですね。
ちなみに、この左側には草加市立体育館があります。
Commented by マフィンマン at 2007-05-19 09:32 x
風俗散歩さん
発見した瞬間、小躍りしました。
ただ残念なことに、図書館で吉原関連の資料にもあたり、ネットでも検索しましたが、この神社と吉原との関係の由来が分からないのです(撮影当日、社務所で訪ねようとしましたが、百日のお参りやら何やらで大忙しだったので諦めました)。
次回訪れた際に取材してみます。
Commented by マフィンマン at 2007-05-19 09:33 x
korotyan27さん
「角海老」については、おいらも風俗散歩さんブログで、その長い歴史について知りました。
多角経営の最たるものであり、そんじょそこらのIT企業なんぞ足元にも及ばない歴史を持っているんですね。
都県境、思わぬ発見があって、愉しいですよ。
Commented by マフィンマン at 2007-05-19 09:33 x
aoi_colorさん
酉の市では今や、浅草の鷲(おおとり)神社が有名ですが、発祥はこちらの大鷲神社と言われています。
ひょっとしたら浅草の鷲神社にも同じような碑があるのかもしれませんね。「貸座敷有志」の人々は、酉の市の社を尋ね歩いた――というのは、いささか想像し過ぎでしょうか。
今度確かめに行ってみます。
Commented by rrb at 2007-05-19 13:46 x
こんにちはm(..)m

明治34年ということは106年ほど前ですか!
東京の大空襲の影響はなかったのでしょうか?
影響がなかったから残っているのですよね…きっと。
スゴイなぁ。。。
Commented by igu-kun at 2007-05-19 14:34
花畑にも大鷲神社があるとは知りませんでした。
一連の風景を拝見しているとまさに秘境ですね。
鬱蒼としたグリーンの茂り具合、木製の橋には私もしびれました。
石碑もたいへん興味深いです。
Commented by 太郎 at 2007-05-19 21:17 x
吉原の歴史の足跡が町に残ってるんですね。
好きな落語の郭話に「紺屋高尾」というのがあります。
花魁高尾がいたのは「三浦屋」だったかなあ!?
思わず探してしまいました。^^;
Commented by マフィンマン at 2007-05-20 00:15 x
rrbさん
悔やまれるのは、この碑の由来がいまだに分からないことです。
社務所で聞けば近道だったのでしょうが、あいにく、どこかの家族連れが百日のお参りか何かしているようで、ムリでした。
詳しくは知りませんが、一帯は戦前、田んぼが広がるだけの田舎だったでしょうから、空襲は免れているのかもしれません。
Commented by マフィンマン at 2007-05-20 00:15 x
igu-kunさん
ここは酉の市発祥の神社だそうですが、浅草の鷲神社のホームページを見ると、「ウチが発祥」みたいなことが書かれており、真相はよく分かりません。
ただ、この大鷲神社が大変な賑わいだったことは間違いないようで、境内の外では賭場も立ったそうです。
何にせよ、この場所で吉原の“遊女屋リスト”にお目にかかれるとは驚きでした。
Commented by マフィンマン at 2007-05-20 00:19 x
太郎さん
江戸の中心から遠く離れた地に、100年以上も前の吉原の碑があるなんて思いもしませんでした。
ご覧の通り、境内のごくフツーの壁にハメ込まれていました。
恐らく大空襲にも遭わず、この100年余の間、非常に幸運な時を過ごしてきたのではないでしょうか。
Commented by いまどき at 2011-02-18 15:41 x
昔花畑に勤めていたのでお酉さまへはよく行きました。この伝右川というのは知りませんでした。綾瀬川や毛長川に繋がっている流れなのでしょうか?
Commented by マフィンマン at 2011-02-21 12:09 x
いまどきさん
花畑はしばらく訪れていないので、様変わりしたことと思います。
それでも、神社だけは変わることなく昔日の風情を残しているでしょうね。
このあたりは、川がいくつか錯綜しているようです。
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