向島  荷風とサブちゃん

戦災で焼亡した玉の井 (現在の東向島)――永井荷風が 『 墨東奇譚 』 (1937年) で描いた私娼街です。
作品を完成させるまで、荷風は何度もこの街を訪れて観察し、日記 『 断腸亭日乗 』 などでスケッチしています。
例えば、1936年9月19日付には、こうあります。
『 電車にて向島秋葉神社前終点に至りそれより雨中徒歩玉の井に行きいつもの家を訪う 』

そうだ、この秋葉神社なら今でもあるはず!――と、わずかに残っているかもしれない戦前の香りを探しに出かけました=30日(日)。
水戸街道そばの、このへんです。
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お、飲み屋の向こうに見えてきました。
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草創は1289年。 1966年に改築されました。
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いつもなら撮影して本日終了なのですが、この日の“メーンディッシュ”は、ここから始まりました。
境内を掃除をしていた女性 (50代?) に、
『 この神社は荷風の作品によく出てくるんですよね 』
と、話しかけました。 すると彼女は、
『 あ~、永井荷風さんなら…… 』
と、実に意外なことを教えてくれたのです。



『 わたしの兄弟が荷風さんから届いたハガキを持っているんですよ 』
ナンと、荷風直筆のハガキ!

女性の父親が千葉県市川市内で理髪店をしているころ、荷風がよく訪れたそうです。
父親の死後、遺品を整理していたら、そのハガキが出てきたのだと言い、『 床屋のサブちゃん 』 と、愛称まで書かれていたそうです。
荷風は、戦後、市川を終の棲家としました。

ご尊父の氏名や住所などをメモしたおいらは、帰宅すると早速、『 荷風全集 』 をめくりましたが、書簡のページには載っていませんでした。
ところが、日記 『 断腸亭日乗 』 の戦後の巻には、何カ所か 『 午後散髪 』 などの下りがあります。
しかし残念ながら、荷風が間違いなくサブちゃんの店に通ったという確証は得られませんでした。

まあ、話はこれでお終いなのですが、GW前半の最終日、“荷風漬け”の愉しいひとときを過ごさせてもらいました。
それにしても、直筆ハガキ……スゴい。

なお、荷風が乗り降りした 『 向島秋葉神社前終点 』 という市電 (今で言う都電) の駅は、正式には 『 向島須崎町駅 』 と思われます。
向島須崎町は、東京五輪の年 (1964年) に、現在の 『 向島 』 に町名改正されました
(向島と東向島=旧玉の井は、隣町です)。

向島では1912年、浅草界隈の銘酒屋が秋葉神社の隣に移転してきたのが、花街としてのスタート。
その後、三業組合も結成され、向島は1940年には芸妓1,300人を抱える日本一の花街に発展したということです。
つまり荷風は、今が盛りの新興花街・向島には目もくれず、ドブ臭い隣町・玉の井の陋巷 (ろうこう) を好んで歩いた、ということになります。
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by muffin-man | 2007-05-02 22:37 | 東向島/京島/墨田/向島/文花 | Comments(18)
Commented by aoi_color at 2007-05-03 00:09
今日も楽しく拝見拝読させて頂きました。
荷風先生は市川から橋を渡って玉ノ井へ通っていた様です。
TVで市川の実邸から玉ノ井へ通う先生出演のドキュメントを見た記憶があります。
一枚目の木造飲食店実家に帰る際何度も見かけていて、初の東向島散策の際も秋葉神社参拝と併せて撮って来たのを思い出しました。
コンパクト過ぎて店内(二階は住み込み用?)はどんな感じなのか非常に気になる物件でした。
水戸街道を渡れば『鳩の町』がありますね。
Commented by korotyan27 at 2007-05-03 00:33
こんばんわ。いろいろなところで出会いがあるものですねぇ。
市川といえば駅前あたりはかなり混沌としていて見ごたえ
ある場所もちらほら。今度カメラを持って言ってみようかしら。
荷風先生といえば東京証券取引所併設の資料館にも直筆の手紙が
ありました。マフィンマンさんならより楽しめると思いましたので
コメントして見ることにします!
Commented by nobulinn at 2007-05-03 02:40
こんばんは。
わくわくしながら、読ませていただきました。
やっぱり土地のかたとちゃんとお話すると、色々な発見や出会いに繋がりますね。
浅草のアリゾナキッチンでご飯を食べた時、やはり荷風先生が通っていたというお話を聞いたことがあります。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 09:23 x
aoi_colorさん
「先生出演のドキュメント」って、ホントですか?!
昭和20~30年代のそんな映像が残っているなんて、初耳です。
それと連想させるような記載は、「断腸亭日乗」にもないです。んん~、ちと調べてみます。
市川から玉ノ井に通っていた戦後は、玉ノ井がすでに全滅した後なので、先生もさぞ寂しかったろうと思います。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 09:23 x
korotyan27さん
ナンと、直筆の手紙が取引所の資料館にも!
確かに、先生は遺産を含め財産管理はしっかりしており、所有株の管理記録も「断腸亭日乗」に頻繁に出てくるので、その資料館に手紙が残されていても不思議じゃありませんね。
先生は、資産のリスク管理にも長けていたようで、昭和恐慌のころは頻繁に銀行口座の預け替えを行っており、驚きます。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 09:23 x
nobulinnさん
そうなんですよね、土地の人と話すと、写真のイマジネーションも心なしか膨らみます。
ただ、匿名性のネットという性格上、実名はなかなか書けず、まして今回は、ひと様の財産にも関わることなので、これ以上具体的には書けないんですよ。
アリゾナキッチン、一度行きたいと思ってます。店の前で撮った戦後の素晴らしい写真が残されています。
Commented by Rambler5439 at 2007-05-03 09:29 x
素晴らしいお仕事、ご苦労様でした。街というのはそれ自体がかけがえのない史料だと考えてはいたのですが、そこに暮らしいる人たちもまたかけがえのない物語を紡ぎだしていたんですね。気合いをいただきました。街撮り者の端くれとして、ぼくも史料収集とオーラルヒストリーの記録に邁進したいと思います。
Commented by @テツ at 2007-05-03 09:35 x
永井荷風ゆかりの神社って玉ノ井にそれらしい神社あったかなー?と…
実はオイラ荷風先生については殆んど知らない。津川雅彦が荷風に扮した「濹東綺譚」 と言う映画見た事あるくらいです。偏奇館とかね。

白鬚神社ではないかと思っていたのですが「秋葉神社」…
地図で探したけど見つけられず、今朝ふと思いついてひらめきました。
おいらもこないだこのあたりの写真撮ったゾ!(京島、八広、鳩の街と廻った時の最後に)
この神社の横にある接骨医でギックリ腰のときお世話になったことあります。
尚、水戸街道から神社へ入る路地の入り口にある○寿司さんは時々会社の帰りにチャリで前を通りますが気がつきませんでした。
Commented by rrb at 2007-05-03 09:35 x
おはようございますm(..)m

すばらしい!
直筆のはがきですか!
メディアとかその業界には知られていない事実なのでしょうかねぇ F(--;
だとしたら、スゴイ発見ですよ!
ノンフィクションライター…マフィンマンさんのデビューになったりして。
その際は一番にサインくださいね(^^)
Commented by lucca-truth at 2007-05-03 09:43
おはようございます
荷風先生、市川から向島へ通ってたんですね。
なかなか当時の物は残っていませんね。
でもいいお話聞かせていただいて、わくわくしながら読みました。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 21:51 x
Rambler5439さん
この年齢で永井荷風を「発見」してからというもの、都内の陋巷を探して撮りに行かなくても、荷風の作品にすべて出てるじゃないか、それも現役そのままで――と、チラッと思うようになってしまいました。
ならば、荷風作品の跡をたどる街撮りもありか、とも思い、こんな撮影を続けています。
でも、この日はいささか出来すぎでした。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 21:51 x
@テツさん
玉ノ井あらため東向島には、「墨東奇譚」でも描かれている「東清寺」が今もあります。
でも、今ではコンクリートの立派なお堂で、当時の面影はかけらもありません。
映画「墨東奇譚」のDVD、探しているんですよ。津川雅彦の荷風というのは、いささかカッチョよすぎですが、ぜひ一度は観たいもんだと思っております。
確かに、「秋葉神社」は縮尺の小さな地図には載ってませんね。おいらは、明治通りと水戸街道の交差点の交番で尋ねました。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 21:51 x
rrbさん
「断腸亭日乗」にも記載されていませんが、荷風が市井の人々に宛てた手紙は、恐らく無数あろうかと思います。
彼の文壇嫌いは有名なようで、むしろ芸者や踊り子、役者、私娼らとの付き合いが日記に頻繁に出てきます(だから面白いんですよ)。よって、公開されていない、市井に埋もれた書簡も恐らくたくさんあるのではないでしょうか。
もっとも、だからといって、荷風は庶民を愛していたわけではありません。孤高の人なのです。
Commented by マフィンマン at 2007-05-03 21:52 x
lucca-truthさん
市川から玉ノ井に通ったのは戦後のことです。それも、玉ノ井そのものは空襲で焼亡してしまったので、戦後はあまり足を向けていません。
「断腸亭日乗」によると、玉ノ井通いは戦前の昭和11年が最も盛んだったようです。
当時の観察記録は、詳細を究めたルポルタージュとなっており、興味深い記述が無数にわたって出てきます。
Commented by @テツ at 2007-05-03 22:39 x
マフィンマンさん。「小さな親切大きなお世話」でしょうが新藤兼人の「濹東綺譚」のDVDを見た感想文が下記に…
http://moyan.cocolog-nifty.com/tettuann/2006/03/post_3d13.html
隅田七福神の一つ多門寺(東武鐘ヶ淵駅近く)には新藤兼人直筆の「映画人の墓碑」もあります。
Commented by マフィンマン at 2007-05-04 06:22 x
@テツさん
情報をありがとうございました。
@テツさんのブログにコメントしておきました。
「映画人の墓碑」にもいつかお参りしたいと思います。
Commented by neon at 2007-05-04 14:55 x
いやはやすごいですね。。。
直筆が出てきたのも凄いんですが、そういうものを長い間大切に持っている、その方の長い歳月のことも想ってしまいます。
そしてやはり「書いたもの」の持つ力も。
荷風のあの文字を眼前に出されたら、もうたまりませんね。
Commented by マフィンマン at 2007-05-05 07:22 x
neonさん
「ハガキ持ってますよ」と、さり気なく言われたひにゃ、仰天しました。
水戸街道の喧噪も聞こえない、静かな境内で、思わず「え~っ!」と、大声をあげてしまいました。
長い間――おっしゃるとおりですね。荷風が投函したのは、すでに半世紀以上も前のことです。
でも、歳月を経ても、荷風の心はこの女性と兄弟の心にも宿っているのですね。
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