勝どき  今月中に解体?!

勝どき1丁目に残る都内最大級の長屋が、今月中に解体される――とのウワサを聞き、行ってみました。
昨年11月に訪れた際は、住民の引っ越し作業が進んでいましたが、それもあらかた終わり、今やご覧の通り。
今後、引き続き続報します。 11月の写真は、こちら
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《 良い長屋・悪い長屋 》
佃から月島、勝どきにかけては明治以降、大規模な埋め立てが行われるとともに、石川島造船所(現・石川島播磨重工業)の企業城下町として発展した。 この街に産業都市モデルの理想像を見た内務省は1921(大正10)年、『 月島調査 』 なる大規模な実態調査を実施した。
その中で、当時の長屋について、“良い長屋”と“悪い長屋”に分けて紹介しているのが興味深い。 原文を引用してみよう。

まず良い長屋、つまり、『 最も進歩した構造を有する長屋 』 の実例を、
▽2~3戸連結して長屋をなし、
▽土台は石で築かれ、屋根は瓦葺
▽各戸に市水道の専用栓を設けている
――としている。 大昔の長屋と言うと、水道や井戸を共同利用する光景を想像しがちだが、当時すでに、世帯ごとに水道が整備された長屋があったわけだ。

一方、悪い長屋、つまり、『 旧式の長屋 』 は、
▽10数戸連結して1棟
▽床下なく、土間に起居。屋根は黒色ブリキ葺
▽水道は1栓当たり20戸が利用し、
――という案配。 中でも、共同利用の水道については、『 甚だしい混雑が女将さんたちの悩みのたね 』 と、リアルに描写している。

なお、住居表示上の 『 勝どき 』 という地名は、いかにも明治期以前から存在したような印象があるが、実は1965(昭和40)年に制定された、比較的新しい地名。 それまでは、『 月島通り×丁目 』などで、名実ともに月島の一角だった。 勝鬨橋は1940(昭和15)年に架設されているが、あくまで橋の名にとどまった。
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by muffin-man | 2007-01-18 21:13 | 築地/豊海町/豊洲/佃/葛西 | Comments(22)
Commented by Rambler5439 at 2007-01-18 21:26 x
いよいよですか。寂しくなりますね。物干し台には白い木綿のシャツや下着がひるがえり、未舗装の路地ではランニング姿のガキンチョたちが走り回っている。子供を背負ったオバちゃんたちが額を寄せ合って噂話に花を咲かせている。あるいは冬、日溜まりで長老が猫を撫でながら白湯を飲んでいる。写真を拝見しているうちに、いろいろな情景が脳裡をよぎりました。続報も宜しくお願いします。
Commented by lucca-truth at 2007-01-18 22:03
こんばんわ
ものすごい大きな木造の長屋ですね。
ここもいよいよ解体されるんですね。
どんどん昭和がなくなっていきますね。
Commented by jitensya7 at 2007-01-18 22:40
去年の秋に比べると随分サッパリとしましたね。今月中に解体されるのでしょうか。解体はとりかかれば早いでしょうね。なにかさみしくなります。
Commented by nobulinn at 2007-01-18 23:42
こんばんは。
11月はあんなに粗大ゴミの山だったのに、ずいぶんすっきりしてしまいましたね。
戸口をふさぐ白っぽい板が少し悲しいです。
続報、是非よろしくお願いしますね~(^^)
Commented by korotyan27 at 2007-01-19 00:13
勝どきにこんな大規模な長屋があるのですね。
最近月島に行ったのですが分かりませんでした。
この写真はどちらの長屋なのでしょうね?
良い長屋、悪い長屋どちらだったとしても昔のコミュニティと
懐かしい風景は失われてしまいますね。
これからこのような路地の良さが再認識されてもっと重要視されそうな
ものですが。再度作れないのになぁ。
Commented by B-dog06 at 2007-01-19 01:21
こんばんは。
ここに住んでいた人たちは今後どこに住むのでしょう。
ここの住人が納得して、明るく暖かい住居を得ることが出来るのであれば
いいのですが。

ちなみに月島には私の数少ない宝物である渓流刀を打ってもらった
鍛冶屋さんが住んでいます。
Commented by rrb at 2007-01-19 09:20 x
おはようございますm(..)m

人が生活を営んでいるのと、そうでないのとでは、やはり光景が違いますねぇ(>.<)
良い長屋、悪い長屋の定義が面白いですね。
井戸端会議、言葉の発祥になった光景もはるか昔のことか…(>.<)
Commented by henronin at 2007-01-19 12:35
かなり長い長屋ですね「悪い長屋」にはいるのでしょうか?月島からだんだん足が遠のきそうです、残念です。
Commented by haru-155 at 2007-01-19 18:14
今晩は!長屋ですねぇ。。あまりこちらでも見かけないモノですから、、つい見入ってしまいました。。ベニヤ板をしっかり打ち付けて、、無人の雰囲気がただよいますね・・庶民の歴史ある建物が取り壊されて、、なんだか写真拝見すると寂しいです・・

水道20件で1個ですか~・・くみ上げるよか便利なんでしょうけど、、。。実感がわいて(笑)しかし考えてみると便利な世の中になったものですね♪
Commented by neon at 2007-01-19 20:27 x
7月、11月と行って、さてあれからどうなったか行きたいと思っていたのですが、もう打ち付けられていますか。。。そうか、ここは月島だったわけですね。最後のお別れに行ってこようと思っています。
Commented by koumonomio at 2007-01-19 21:30
マフィンマンさん こんばんは
この長屋風景も、無くなってしまうのですね~^^;
映画の舞台としても使えそうで、もったいない気持ちになります。
ねぇ~、都知事さん 東京を国際的な映画の舞台に~!!なんて言っていたのだから、言葉だけでなく少しは行動してよ。。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:36 x
Rambler5439さん
佃~月島~勝どきについて、ちょこっとだけ調べてみましたが、この界隈の歩みは、まさに日本資本主義の夜明けとも言える歴史なんですね。さらに埋め立て前までさかのぼると、当時の石川島(という離れ小島)には刑場がありました。で、明治期に移設され、その移転先は巣鴨だったり――と、なかなか興味深い史実が眠っていました。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:37 x
lucca-truthさん
ほぼすべて2軒長屋で、計90世帯が住んでました。まだごく一部の住民が残っています。昨年11月に住民に聞いたところ、今年3月までに解体されるとのことでした。正確な解体時期は不明です。いずれにしても、静かに「その時」を待っている、という風情でした。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:37 x
jitensya7さん
そうですね、昨年11月に訪れた際は、家具などが粗大ゴミとして路地をふさいでいましたが、それもすっかり片づけられ……。今や、近所の人や勤め人らが、抜け道代わりに時折通り過ぎるだけです。寂しい限りです。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:38 x
nobulinnさん
予想以上に「こと」は進んでおり、まさか各戸の玄関がベニヤ板まで張られているとは思いもしませんでした。生活そのものにフタをしてしまったようで、「死」に近いものを感じました。来週後半の土日あたりに再訪しようと思っています。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:38 x
korotyan27さん
大江戸線・勝どき駅のA4出口を出て目の前に商店が数軒ありますが、まさにその裏側です。そのままバス通り沿いに豊海町方向に進むと、商店沿いに細い路地が数本あります。そこが「迷宮」の入口です。急いで下さい!
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:39 x
B-dog06さん
解体後は、50数階建てのマンションが建ちます。この長屋は、あくまで住民がそれぞれ世帯ごとに所有しており、完成後(3年後)には、そのマンションに“戻って”きます。それまでは、どこかに仮住まいです。ただ、高齢者が多いので、住民の一人は、「何人戻ってこれるかねえ」と話していました。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:39 x
rrbさん
よい長屋・悪い長屋――この「月島調査」が書かれたのは、86年前です。住宅事情は現代の方がはるかに良好なのでしょうが、評価の基準そのものは今とそんなに変わるものでもないですね。いずれにしても住宅は、人が住んでこそですよね。空き家を撮っていて、よくそう思います。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:39 x
henroninさん
写真だと、長~い長屋に写ってますが、実は2軒長屋で、2世帯で1棟です。よって、「良い長屋」ですね。月島にも商店街の路地に長屋がありますが、近年のマンション開発に歩調を合わせて、長屋そのものがきれいに改築されているので、長屋と判別がつかないことがありますよね。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:40 x
haru-155さん
「悪い長屋」の具体例は、本当に劣悪な住環境だったんだなあ、と思いますが、おいらはそれよりも、大正10年当時の長屋がすでに「1戸に1水道」を実現していたという事実の方が驚きでした。やはり、企業城下町としてインフラが整備されつつあった、ということなんでしょうね。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:40 x
neonさん
>ここは月島だったわけですね。
おいらも郷土史研究家に話を聞くなどして、初めて知りました。「勝どき」の名は、日露戦争(1904~05年)の戦勝を記念して、地元の渡し船を「勝ちどきの渡し」と称したのが最初だそうです。「勝どきをあげる」の「勝どき」ですね。渡し船は、1940(昭和15)年に完成した勝鬨橋に取って代わられましたが、名前は継承されました。地名の意外な史実です。
Commented by マフィンマン at 2007-01-25 19:40 x
koumonomioさん
この長屋に初めて足を踏み入れた時のことは、今でも忘れません。「まるで星一徹・飛雄馬父子が住んでいた長屋じゃん!」と思ったものです。月島にも長屋が残っていますが、かなり建て替えられ、これほど“木造度”は高くないですね。地面が土だったら、ホント、星父子ワールドです。
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