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北海道夕張  炭鉱遺跡を往く・その2(おまけ付き)

2階へ続く階段を上りきると――、
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窓ガラスがはまっているのが不思議なくらいだ。
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草も生えている。
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まさかシャワールームってことはないよな。
そして、手前の物体は?
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「危険 高電圧」。
幾年月を経ても、なぜか文字は消えない。
しっかり記憶しておけ、と言わんばかりに。
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「操作可」「操作不可」。
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「高圧危険」。
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ありがとうございました。
と、施設に礼を言って外に出ると、トンボが何匹も飛んでいた。
北海道はもう秋だ。
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旧北炭清水沢火力発電所を後にして、三菱南大夕張炭鉱殉職者の碑を訪ねる。
1985年(昭和60)5月17日、大規模ガス爆発事故があり、62人もの炭鉱員が犠牲になった。
わたしは当時、岩見沢(夕張から直線で約33キロ)で勤務しており、真っ先に現場に急行し、取材に明け暮れた。
碑は、今では使われなくなった南部市民体育館の裏手にある。
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この大事故をきっかけに三菱南大夕張炭鉱は1990年(平成2)に閉山した。
全く人の姿が見えない。
足下はエゾシカの糞にまみれている。
それでも誰が供養しているのか、碑には花が手向けられ、掃除も行き届いている。
わたしも合掌した。
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シューパロ湖に向かう国道沿いに、三菱大夕張鉄道の車両が保存されている。
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車両の中に入ることができる。
床の油の匂いがプンと香った。
旧北炭清水沢火力発電所の「高電圧」などの注意板と同様、全体がどんなに古びても、どこかに「記憶装置」が残っているものだ。
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そして、シューパロ湖(人造湖)。
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取材で駆けずり回った大夕張(夕張市鹿島、南部地区)の街は湖底に沈んだ。
湖面から姿を覗かせている橋や道路は、これもまた「記憶装置」だろう。
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もと来た道に戻り、市役所方面へ車を走らせていると、鹿の谷でこんな風景に出合った。
川の上に架かる鉄橋。
JR石勝線かな、と思いきや……、
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線路が2つあり、手前は廃線になっている。
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終点・夕張駅。
隣接する「ゆうばり屋台村(バリー屋台)」だけは観光客でにぎわっていた。
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かつて何度も往復した道を通って、岩見沢方面に向かう。
途中、岩見沢市毛陽でリンゴ畑に再会した。
そうそう、リンゴ農家も取材したものだ。
1985年(昭和60)3月いっぱいで廃線になった国鉄万字線をバックに、白い花が満開のリンゴ園を撮影したこともあった。
それがどこだったか探してみたが、見つけられなかった。
もしかしたら、そんな都合のいい撮影場所など実は存在せず、勝手に記憶をつくりあげていただけなのかもしれない。
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次回は打って変わって、登別の湯煙を。

―以下、おまけ―
企業と自家発電の歴史は古くて新しい。
2011年3月の東日本大震災では、電力不足や計画停電という未曾有の危機に直面する一方、大手鉄鋼メーカーなどでは震災前から、自前の発電設備で電力をまかなっていることに注目が集まった。
震災後、さまざまな企業で自家発電の設備が新増設され、昨年3月11日付の日本経済新聞によると、国内全体で原発7基分に相当する設備が増えたという。
旧北炭清水沢火力発電所の時代までさかのぼると、この発電所のスタートと同時期の1925年(大正14)、千葉の片田舎にも小さな発電所が完成した。
事業主は、近年人気の小湊鉄道。
発電所は「関東の駅百選」にも選ばれた上総鶴舞(かずさつるまい)駅に造られた。
小湊鉄道のほぼ全ての施工に関わった鹿島の資料によると、発電所はディーゼルエンジンの発電機を2機備え、駅舎のみならず、近隣の9村に電力を供給していたという。
たまたま5年前の秋、写真仲間と小湊鉄道と上総鶴舞駅を撮影しに行った折、この発電所跡の碑を撮った。
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鹿島の資料には「現在も残る発電所建屋」として、この建物の写真が掲載されている。
といっても、おそらくメーン棟ではなく、あくまで施設の一部だったのではないかな(ただの推測です)。
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―さらに、おまけ―
東日本大震災から約2週間後の秋葉原。
電気店はネオンの灯火や店頭の音楽などを軒並み自粛したため、街は暗く、行き交う人々の靴音だけが響いていた。
首都高も照明が制限され、驚くほど暗かった。
震災は「電気のない都市」の姿を垣間見せた。
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by muffin-man | 2017-08-16 20:15 | おまけ
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