千葉・勝浦 2  岬めぐり

じっくりまわりたかったもう1つの場所が、ここ勝浦市鵜原(うばら)。
三島由紀夫が敗戦をはさんで書いた短編「岬にての物語」の舞台です。
その岬へと通じるトンネル。 と言うより、隧道(ずいどう)と呼びたい。
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隧道をいくつか抜け、林の中を進んでいくと、おや、こんなひと気のない場所にスクーター。
そして、石段。
下りてみよう。
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小屋だ。
でも、やはり誰もいない。
小さな入り江が見えるぞ。
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どんどん行く。
男の声が聞こえてきた。
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小さいながらも漁港だ。
リアス式海岸が続く鵜原ならではの風景、と言えばいいのか。
小屋の中では、2人ばかり漁師が漁網の手入れをしていた。
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振り返ると、かつうら海中公園の海中展望塔。
あそこは20年ほど前に来た。
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さて、元の道に引き返して、岬の突端を目指そう。
上り下りを繰り返してようやく最初に着いた岬が、手弱女平(たおやめだいら)。
ここから見た風景です。
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リアス式海岸なので、岬はいくつも連なっている。
次にたどり着いた毛戸(けど)岬からは、こんな絶景が。
不思議な自然の造形美。 まるで石切場のようです。
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「岬にての物語」で、鵜原の岬は例えばこう描写されています。
断崖ははるかに水平線を超えて空を限り、今去りゆく雲のために白い岩床を眩しく刃のように輝かせていた。

こちらは、白鳳(はくほう)岬から。
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岬の「黄昏の丘」と名付けられた南の斜面では、スイセンが歌っています。
向こうは鵜原海岸。
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岬めぐりを終え、鵜原海岸に通じる坂を下ると――、
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またも、隧道。
隧道マニアにはたまらない街・勝浦。
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鵜原海岸に着きました。
穏やかで、きれいな海です。
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ところで、一帯は「鵜原理想郷」と呼ばれている。
その名を初めて耳にした時、どこか新興宗教っぽいイヤな感じがしたんだが、ただの無知でした。
「勝浦市史」によると、大正期に鉄道相の秘書・後藤杉久が別荘地開発を計画し「鵜原理想郷土地合資会社」を興したのが、その名の始まりです。
別荘だけでなく、大運動場や雨天体操場、公会堂、病院、温浴場、さらには水力・火力発電所などを建設しようという、今でいう一大リゾート開発だったそうだ。
が、さまざまな事情から、計画は昭和初期までに頓挫し、結果的に鵜原の自然はそのまま残された。
一方、三島由紀夫の「岬にての物語」は、彼が12歳、すなわち昭和12年(1937)の夏に家族とともに避暑に訪れた際の、岬の美しい印象が元になっているという。
つまり、鵜原理想郷のビッグプロジェクトが完成していたら「岬にての物語」は書かれなかったかもしれないわけだ。

次回は、「岬にこんなものが!」をお送りします。
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by muffin-man | 2013-01-22 21:36 | おまけ
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